17世紀に入ると、静電気には吸い付けるだけでなく反発する場合もあることが わかってきた。また、電気を帯びた物質の側に帯びていない物質を置くと、 その物質も電気を帯びるという現象が発見された。そして18世紀には、 「金属などに摩擦電気現象が見られないのは金属が電気を逃がしやすいから」 ということがわかり、「導体」(電気を逃がしやすい)と「絶縁体」 (電気を逃がさない)の区分が生まれた。絶縁体には電気が動かずに留まる ということから、「静」電気という概念が生まれる。また、フランスの シャルル・フランソワ・デュ・フェが電気には 2種類1.2あって、 同種のもの同士は反発して1.3、異種のものは 引き合う性質があるということを発見した 。そこで、一方を「プラス」、 他方を「マイナス」と呼ぶことになる。このプラスとマイナスの名付け親は 18世紀のアメリカの政治家でもあったフランクリン である。
18世紀の初めにはオランダのライデン大学でライデン瓶 が発明され、 電気の研究が進む。ライデン瓶の発明にはガラス技術の発展が不可欠であり、 技術の進歩と科学の進歩が協調して進む良い例になっている。イタリアの ガルヴァーニ は静電気による蛙の筋肉収縮の研究 (1791年、「筋肉運動による電気の力」)によって異なった2種の金属を 触れることによって電気が発生することを発見した。もっとも、彼自身は この電気は蛙(動物)に由来した電気であると考えており、「動物電気」 という名称をつけている。また、電流計のことを「ガルヴァノメーター」 というのは、彼の功績を讃えたものである。一方、イタリアのボルタ
(電圧の単位ボルトの語源)は、この「動物電気」の考えに疑問を抱き、 動物を使わない実験装置で電気を発生させることによって「2種の金属の 接触によって」電気が発生することを証明した。ボルタの考えの背景には ドイツのズルツアーが、「異なる金属を接触させて、もう一方で舌を挟むと 妙な味がする」という報告が挙げられる。「ボタン電池を舐めると変な味が する」のも同じ現象である。(ボタン電池を飲み込んでしまうと危険なので、 実験をする場合はくれぐれも注意を)ボルタの実験装置は銅板と亜鉛板との 間に塩水をしみこませた紙を挟んだものを幾つも積み重ねた「電堆」 (1899年)と、それを改良した「電池 」1.4(塩水の代わりに希硫酸を用いる) である。このボルタの電池の発明により動電気すなわち継続して流れる電流が 得られるようになり、電気に関する研究が進んだ。オーム は現在オームの 法則で知られる「電圧は電流に比例する」ことを19世紀に発見した。 この発見によって電流、電圧に対して数学的な取り扱いができるようになった。 また、電流が得られたことによって電気と磁気の間の関係が明らかに なった1.5。 エルステッド が電流は磁石に力を及ぼすことを発見したのである 。 これに引き続いて アンペール が電気と磁気の精緻な数学理論を作り上げた。19世紀のイギリスのファラデー は電磁誘導現象を発見し、電気力線と磁力線に よって視覚化される場の概念を電磁気現象に導入した。ファラデーによれば、 電場や磁場は物理的な実体である。イギリスのマクスウェル はファラデーの 電気と磁気の理論をもとに1864年にマクスウェルの方程式を導いて 古典電磁気学を確立した。マクスウェルの方程式から、電磁波の存在が理論的に 予言される。ヘルツ は1888年に電気火花の実験によって電波の存在を確認し、 マクスウェルの理論を検証した。ここに, 電磁場(電場、・磁場)が エネルギー・運動量を持って運動する物理的な実体であることが確立したのである。